「アンネの日記」は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から逃れるため隠れ家生活を送っていたユダヤ人少女アンネ・フランクによって書かれた日記です。世界中で翻訳され、戦争の悲惨さと人間の尊厳を描いた作品として、世代を超えて読み継がれています。 この作品は、アンネの率直な心の内を綴った日記という形式で書かれており、読者は彼女の成長、葛藤、そして希望を追う姿を間近に感じることができます。
アンネの日記のネタバレ!
アンネの日記は、アンネ自身が出版を意識して推敲した清書版と、彼女がプライベートに書き綴ったオリジナル版の二つが存在します。戦後、父親のオットー・フランクによって、オリジナル版と清書版を補完する形で縮約・編集され出版されましたが、そこには第三者による削除や修正も加えられています。
削除された箇所には、母親への辛辣な批判や、プライバシーに関わる記述、性に関する記述などが含まれていました。しかし、これらの編集は日記のオリジナル性を損なうものではなく、アンネが書いたものと内容自体は概ね一致しているという結論が出ています。
現在出版されているアンネの日記は、削除された箇所も増補されており、オリジナル版に近い形で読むことができます。また、オランダ国立戦時資料研究所が保管する原本は科学的調査が行われ、アンネ自身によって書かれたものであると最終報告されています。
アンネの日記の登場人物
アンネ・フランク
日記の著者であり、物語の中心人物。 愛称はアンネ。 ナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れるため、家族と共に隠れ家生活を送る13歳の少女。 日記には、隠れ家での日常生活、家族や同居人との関係、思春期の悩み、戦争に対する恐怖、未来への希望などが率直に綴られている。 特に、母親との確執、ペーターへの恋心、性に対する興味など、10代の少女らしい等身大の姿が描かれている。 隠れ家発見後、強制収容所に移送され、15歳で発疹チフスにより命を落とす。
オットー・フランク
アンネとマルゴットの父。 会社経営者であり、隠れ家の準備を進めた人物。 ナチスの迫害から家族を守るために尽力する。 隠れ家発見後、強制収容所に送られるが、唯一生き残り、戦後アンネの日記を発見し出版する。
エーディト・フランク
アンネとマルゴットの母。 オットーの妻。 隠れ家生活では、アンネとしばしば衝突する場面も見られる。 逮捕後、アウシュヴィッツ強制収容所で死亡。
マルゴット・フランク
アンネの姉。 アンネより3歳年上。 日記からは、ペーターとアンネの関係に複雑な思いを抱いている様子が伺える。 アンネと共にベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送され、アンネより先に発疹チフスで亡くなる。
ペーター・ファン・ペルス
アンネと恋愛関係になる少年。 隠れ家では、アンネにとって心を許せる存在となる。 逮捕後、マウトハウゼン強制収容所で死亡。
ヘルマン・ファン・ペルス
ペーターの父。 フランク一家と共に隠れ家生活を送る。 日記からは、フランク一家との間に摩擦があったことが窺える。 逮捕後、アウシュヴィッツ強制収容所で死亡。
アウグステ・ファン・ペルス
ヘルマンの妻、ペーターの母。 フランク一家と共に隠れ家生活を送る。 ヘルマン同様、フランク一家との摩擦も描かれているが、コミカルな性格も持ち合わせている。 逮捕後、アウシュヴィッツを始めとする複数の強制収容所を転々とし、死亡。
フリッツ・プフェファー
歯科医。 愛人がいたが、ユダヤ人ではなかったため、一人で隠れ家に合流する。 アンネとは折り合いが悪く、日記ではしばしば批判の対象となる。 逮捕後、ノイエンガンメ強制収容所で死亡。
アンネの日記のストーリー
隠れ家生活の始まり
アンネ・フランクは、1929年6月12日、ドイツのフランクフルト・アム・マインで生まれました。 1933年、ナチスが政権を掌握すると、ユダヤ人に対する迫害が始まり、アンネ一家はドイツからオランダのアムステルダムへ逃れます。 しかし、1940年にドイツ軍がオランダに侵攻し、ユダヤ人への迫害はさらに激化します。 1942年7月、アンネの姉マルゴーに強制収容所への移送命令が出されたことをきっかけに、アンネ一家はアムステルダムにある父親の会社の隠れ家に身を隠すことになります。
隠れ家での生活
隠れ家での生活は、不便と緊張の連続でした。昼間は会社の従業員が出入りするため、物音を立てることができず、夜は完全に静かにしなければなりませんでした。 食料は限られ、娯楽もほとんどありませんでした。 アンネは日記に、このような状況下での日々の生活の様子、家族や同居人たちとの関係、そして戦争に対する恐怖や未来への希望などを赤裸々に書き記していきます。
アンネの成長
隠れ家生活の中で、アンネは思春期を迎え、心身ともに大きく成長していきます。 家族や同居人たちとの衝突を通して、人間関係の難しさや大切さを学び、また、ペーターとの淡い恋を通して、異性への関心や愛情を育んでいきます。 アンネは読書や勉強にも励み、作家になるという夢に向かって努力を続けます。
密告と逮捕
しかし、1944年8月4日、隠れ家はゲシュタポによって発見され、アンネを含む8人は逮捕されてしまいます。 密告者が誰であったのかは、長らく謎とされてきましたが、近年、ユダヤ人評議会のメンバーであったアーノルド・ファンデンベルフが密告者であった可能性が高いという説が発表されています。
強制収容所での日々
アンネたちは、まずアウシュヴィッツ強制収容所に移送されました。 そこは、想像を絶する過酷な環境でした。 アンネは家族と離れ離れになり、飢餓、病気、暴力に苦しめられました。 1944年10月、アンネと姉マルゴーはベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送されます。 しかし、そこで発疹チフスが流行し、マルゴーは1945年2月に、アンネもその数週間後に亡くなりました。
アンネの日記の出版
戦後、唯一生き残った父親のオットー・フランクは、隠れ家で発見されたアンネの日記をまとめ、1947年に「Het Achterhuis」(隠れ家)というタイトルで出版しました。 アンネの日記は、たちまち世界的なベストセラーとなり、多くの言語に翻訳されました。 日本では、1952年に「光ほのかに」というタイトルで初めて出版され、その後、1991年に「アンネの日記」というタイトルで新訳版が出版されました。
まとめ
「アンネの日記」は、一人の少女の成長と悲劇を描いた作品であると同時に、戦争の悲惨さと人間の尊厳を訴える作品です。アンネの率直な言葉は、読者の心に深く響き、平和の大切さを改めて考えさせてくれます。 アンネは日記の中で、「私は、どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました」と書いています。 彼女のこの言葉は、私たちに希望を与え、どんな困難にも立ち向かう勇気を与えてくれるでしょう。