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梶井基次郎『檸檬』のネタバレ!

梶井基次郎の代表作『檸檬』は、1925年に発表された短編小説です。 「えたいの知れない不吉な塊」に心を囚われた「私」が、京都の街を彷徨い、ある果物屋で檸檬に出会うことで心の変化を経験する物語です。 詩的な文体と鮮烈な色彩描写が特徴で、高校の教科書にも採用されるなど、時代を超えて愛されています。 この記事では、『檸檬』のあらすじ、そして衝撃的なラストシーンまでをネタバレ解説していきます。

目次

『檸檬』のネタバレ!

主人公の「私」は、原因不明の憂鬱な気持ちに苛まれ、京都の街を彷徨っています。 美しいものにも興味を失い、みすぼらしい裏通りや安っぽい玩具に惹かれるようになっていました。 そんなある日、「私」は果物屋で鮮やかなレモンに出会い、その美しさに心を奪われます。

レモンを購入した「私」は、一時的に幸福感に包まれ、かつて愛した書店「丸善」を訪れます。 しかし、丸善に入っても憂鬱な気分は晴れません。 そこで「私」は、積み上げた画集の上にレモンを置き、その場を立ち去ります。

「私」はレモンが爆弾のように爆発し、丸善を木っ端微塵にする様を想像し、奇妙な高揚感を感じながら街を去っていくのでした。

「檸檬」の概要

『檸檬』は、作者である梶井基次郎自身の体験を色濃く反映した私小説的な作品です。 「私」の抱える不安や焦燥感は、当時の若者たちの心情を象徴しているとも言えます。 また、鮮やかな色彩描写や比喩表現を駆使した文体は、梶井文学の魅力の一つです。 特に、レモンの描写は、読者の五感を刺激する美しさで、物語の象徴的な存在となっています。

『檸檬』の登場人物

この作品は主人公である「私」の一人称で描かれており、明確な登場人物は存在しません。 しかし、「私」の友人や借金取り、果物屋の店主、丸善の店員など、周囲の人物との関わりを通して、「私」の孤独や疎外感が浮き彫りになっています。

『檸檬』のあらすじと結末

不吉な塊に囚われた「私」

物語は、「私」が得体の知れない不安に苛まれている場面から始まります。 かつては音楽や絵画に心を動かされていた「私」でしたが、今は何もかもが虚しく、美しいものにも魅力を感じなくなっていました。 病弱で借金を抱えていることも、「私」の心を重くしていましたが、それ以上に深い絶望感が「私」を支配していたのです。

レモンとの出会い

「私」は、京都の街をさまよい歩き、みすぼらしい裏通りや安っぽい玩具に奇妙な安らぎを感じていました。 そんなある日、果物屋で輝くばかりに美しいレモンに出会い、「私」はその魅力に抗えず、レモンを購入します。

丸善での奇妙な行動

レモンを手にした「私」は、かつて愛した書店「丸善」へ向かいます。 しかし、丸善に入っても憂鬱な気分は晴れませんでした。 そこで「私」は、衝動的に画集の上にレモンを置き、そのまま店を出ていきます。

レモン爆弾の幻想

「私」は、丸善を後にしながら、レモンが爆弾のように爆発し、丸善を破壊する様を想像します。 そして、奇妙な高揚感とともに、街を去っていくところで物語は終わります。

この作品の捉え方

梶井基次郎の『檸檬』は、一見すると不可解な行動をとる主人公を通して、人間の深層心理や社会に対する潜在的な反発を描いた作品として解釈できます。

  • 「不吉な塊」と不安の象徴: 主人公の「私」は、「えたいの知れない不吉な塊」に心を圧迫されていると述べています。 これは、具体的な理由が明示されていないことから、当時の社会状況や作者自身の内面的な葛藤を象徴していると考えられます。 病気や借金といった現実的な問題も抱えている「私」ですが、 それ以上に、将来への不安や社会への違和感といった漠然としたものが「不吉な塊」として表現されているのでしょう。
  • レモンのもつ多面性: 「私」は、果物屋で見つけたレモンに強く惹かれ、購入します。 レモンは、その鮮やかな色彩と瑞々しさで、「私」に束の間の幸福感を与えます。 しかし、同時にレモンは、丸善を破壊する「爆弾」として、「私」の破壊衝動を体現する存在にもなります。 このことから、レモンは単なる果物ではなく、「美しさ」と「破壊」という相反する要素を併せ持つ、象徴的なアイテムとして解釈できます。
  • 丸善と社会への反発: 「私」は、かつて愛した書店「丸善」を、今では重苦しい場所と感じています。 丸善は、当時の文化的な象徴であり、社会秩序や権威を代表する存在と捉えることもできます。 「私」が丸善にレモン爆弾を仕掛けたくなる衝動は、 社会に対する潜在的な反発や、息苦しさからの解放願望を表していると考えられます。
  • 芸術と現実の葛藤: 「私」は、美しいものへの感性を失いながらも、みすぼらしいものや安っぽい玩具に美しさを見出しています。 これは、芸術に対する純粋な憧憬と、現実の苦悩との間で揺れ動く「私」の葛藤を表しているとも解釈できます。

『檸檬』は、短い作品ながらも、当時の社会状況や若者の心理、芸術と現実の対比など、様々なテーマを含んでいます。読者は、それぞれの解釈を通して、作品に込められたメッセージを読み解くことができるでしょう。

まとめ

梶井基次郎の『檸檬』は、短いながらも、人間の心の奥底にある不安や焦燥、そして破壊衝動を描いた作品です。 レモンという鮮烈なイメージを通して、日常に潜む美しさや、それに対する複雑な感情を表現しています。 読後には、爽やかさと同時に、言いようのない不安が残る、不思議な読後感を与える作品と言えるでしょう。

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